282 件の資料が見つかりました。
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石下町報 1955年10月 第6号 石下町報
1955年10月
第6号長塚節四十年祭行わる生家は県文化財に名作小説『土』の作者であり、またアララギ派の歌人として、近代文学史上に不滅の足跡を残した石下町大字国生うまれの長塚節(ながつか・たかし)が大正四年(三十五歳)に死んで今年で四十年、読書...
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石下町報 1957年4月 第13号 石下町報
1957年4月
第13号鬼怒川2筑波山3石下つむぎ(石下織物)4長塚節の生家三〆切五月末日四審査一流専門家に依頼五当選者に薄謝を呈します増産に種子交換採種ほ設置計画増産施設の一環として、年々実施されている採種圃の作付面積はその都度町報によってお...
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石下町報 1957年8月 第15号 石下町報
1957年8月
第15号満に移行できるよう努力したいものです。「長塚節生家保存会が大きな力となって、史跡として完全に保護、保存されることを、郷土の皆さんとともに希いたいものです。米の競作大会町では昨年に引続いて米作競作大会を開くことになった。こ...
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広報いしげ 1964年4月 第44号 広報いしげ
1964年4月
第44号体会員数五一六名(老人クラブ結成式風景)長塚節の遺墨品が数多く展示され、集まった多くの人の目をひいていました。五十年祭は主催者増田実行委員長のあいさつにはじまり関井町長など来賓祝辞のあと近親者の「節の思い出」として東京か...
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広報いしげ 1965年3月 第49号 広報いしげ
1965年3月
第49号辺義雄氏)はNHKの招きによって出場し、長塚節の小説「土」のなかに描かれた民謡を中心に農民の生活環境の中から生まれでた民謡としていまも石下地方で親まれ、保存されてきた極楽踊り、盆踊り(のろばか)はたおり唄、田植え唄、飴や...
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広報いしげ 1966年7月 第58号 広報いしげ
1966年7月
第58号田園風景から放送され、小説「土」の作家・長塚節の生家と遺品、特産いしげ紬の作業工程、鬼怒川のもよう、町営自動車学校、そして最後に花いっぱい運動などが次々に描写され、わずか十五分間ではありましたが、広く本町の現勢が紹介され...
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広報いしげ 1967年12月 第66号 広報いしげ
1967年12月
第66号の見物客を集め、特に、郷土文化財展示会は長塚節の遺品、遺墨をはじめ明治画壇の巨匠服部波山、猪瀬東寧、小林蔵六など郷土画家の遺作百数十点を主とし、門外不出の宝物など多数出品され、小中学校児童生徒、一般観衆で会場をうめつくし...
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広報いしげ 1968年6月 第69号 広報いしげ
1968年6月
第69号力をせつにお願いいたします。三笠宮ご夫妻長塚節生家にお着きになる道筋、本町の農業近代化の状況など親しくご説明申し上げました。匂うばかりの新緑の大樹に囲まれた節の生家の門前の道路には、地元国生の皆さまほか多数のお出迎えの人...
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広報いしげ 1969年4月 第74号 広報いしげ
1969年4月
第74号土の生んだ秀れた文学者であり歌人である「長塚節」を中心とした文化講演会記念植樹と共に明治以降今日に至る郷土史(年表)の編集を推し進めてきました。そして講演会及記念植樹は事業も順調に終了しましたが、郷土史(年表)については...
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広報いしげ 1970年7月 第83号 広報いしげ
1970年7月
第83号で県民文化センターで開かれまを記念した「長塚節俳人芭蕉の句に見る様な品位十年を記念し自然に親しんだ澄明な響きが「土」発表六り鋭い観察による線の細さと会等の主催でに、子規の忠実な後継者とな県教育委員揮し、同門の伊藤佐千夫と...
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広報いしげ 1970年10月 第86号 広報いしげ
1970年10月
第86号野菜は多く食べましょう。杉山老人会による長塚節の記念碑を毎月会員こぞって清掃することになりました。木を切ったり、垣根を整備したりして、みちがえるようになりました。自転車の正しい乗り方教室開く交通安全母の会主催この教室は、...
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広報いしげ 1971年1月 第88号 広報いしげ
1971年1月
第88号ーツ大会・有線放送ダイヤル工事開始13日長塚節展土発表六十年目記念(水戸)について)6月3日「お知らせ」回覧第一号発行(八間堀総代選挙31日石下町東野原モデル集落田園都市建設事業終了の丸小)・第八回茨城県身体障害者スポー...