274 件の資料が見つかりました。
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広報いしげ 1977年4月 第152号 広報いしげ
1977年4月
第152号小貝川、筑波山が紹介されているのを初め、長塚節の生家、将門公苑、法輪寺、特産品結城紬、平将門公供養の古碑、西福寺、東弘寺、日本民家・秋葉家、石下まつりなどが紹介されています。老人理容の無料七百九十三人が利用町では町理容組...
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広報いしげ 1977年6月 第154号 広報いしげ
1977年6月
第154号波町月折林道、なお十九日の午後一部国生の長塚節生家・二十日若宮戸十一面でそれぞれ行われました。ご存じのように、今回もエキストラを募集したわけですが、募集人員は延人数にして三百五十名と多く又、田植等の時期と重なったため、応...
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広報いしげ 1978年3月 第163号 広報いしげ
1978年3月
第163号うございます音楽論文優秀賞に増田穂波さん長塚節文学賞』に応募。三十数編の応募作品の中から、岩田さんが戦後三十年間温存してきたテーマを追求したという「蕎麦打ち」が、見事佳作に入選しました。交通安全のよい子表彰下妻地区交通安...
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広報いしげ 1979年5月 第174号 広報いしげ
1979年5月
第174号庫紹介石下町の昔ばなしこの四月十五日に、長塚節研究家でおなじみの篠山の渡辺義雄さんが「ふるさと文庫石下町の昔ばなし」を著作発行しましたのでご紹介します。この本は、当石下町に古くから云い伝わる民話を収録したもので、私たちの...
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広報いしげ 1979年9月 第178号 広報いしげ
1979年9月
第178号た。2昭和三十二年笠間市観光協会国にある長塚節歌碑展を開催3明治三十五年(二十三歳)2昭和五十四年歌碑建設委員会1茨城県日立市諏訪梅林出でて来にけり梅の花散らまく惜しみ雪降りて寒くはあれど3明治三十八年(二十六歳)2昭和...
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広報いしげ 1979年10月 第179号 広報いしげ
1979年10月
第179号い、売上金の一部を歳末助け合い運動へ寄付長塚節資料展2.記念版画展3.記念短歌会4.記念俳句会5.記念祭日活映画「土」の上映記念式典講演会音楽発表会郷土芸能発表会6.記念誌刊行及び歌碑建立11月11日~25日11月12日...
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広報みつかいどう 1979年11月 第287号 広報みつかいどう
1979年11月
第287号市大町三の一電・水戸21―五一二六)へ。長塚節生誕百年祭実行委員会(〒300―27・石下町新石下五七六石下町役場内電・石下三一一一)へ税を知る週間11日〜17日暮らしの中に生きている税金―11日から17日は「税を知る週間...
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広報いしげ 1979年11月 第180号 広報いしげ
1979年11月
第180号門消えていった清き鬼怒川のせゝらぐところ長塚節消えていった見よ沃野を統べる名山筑波嶺まのあたり聳え尾花なびき秋晴れの鬼怒川のさざ波かゞやくところさかのぼぎぜん鮭が溯り、遠空に巍然として日光連山が雪をかぶっている更に見よ西...
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広報いしげ 1980年1月 第181号 広報いしげ
1980年1月
第181号長塚節生誕百年祭を行う去年は、私たちの郷土茨城が生んだ不世出の大文人、長塚節の生誕百周年に当たりました。節は、明治十二年(一八七九年)四月三日、当時の岡田郡国生村(現在の石下町大字国生)に生まれました。長塚節研究会では、...
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広報いしげ 1980年2月 第182号 広報いしげ
1980年2月
第182号一月二十五日に中央公民館で行われました〝長塚節生誕百年祭記念俳句会〞から、町内の方の作品を紹介します。なお紙面つごう上一人一点。○なつかしや旅の節の時雨笠新石下生井松南○北風に髪おさえつつ歌碑読めり新石下武子千代○夕陽背...
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広報いしげ 1980年4月 第184号 広報いしげ
1980年4月
第184号,649(前月比+10)歌碑を建立し解散長塚節生誕百年祭の締めくくりとして、同所玄関前に歌碑を建立し、除幕式を行いました。また、同祭の一環として記念誌を刊行、列席者一四〇人に配布しました。除幕式は七井教育長のあいさつで始...
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広報いしげ 1980年6月 第186号 広報いしげ
1980年6月
第186号繰入金八九七万二〇〇〇円です。歳出では、長塚節を永遠に顕彰するため、全町民の名において銅像を建立し、ここに不朽の諸名作を讃える昭和五五年四月二日石下町長松崎良助石下町観光協会町長、議長などの報酬を答申郡特別職報酬審議会結...