276 件の資料が見つかりました。
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広報いしげ 1971年11月 第98号 広報いしげ
1971年11月
第98号品に、最高の食べものであっ昭和14年発行長塚節逝いて六十星霜、しかし不朽の名得た事を喜ぶ者である。我が郷土の産んだ文人、詩人、歌人であ久しぶりに劇を観賞し、無我の境に浸り平塚由郎様に映じ受け止められた事だろう。本石下いた...
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広報いしげ 1972年1月 第100号 広報いしげ
1972年1月
第100号に指定される合併祝賀記事30・6・256長塚節の生家県史跡飯沼村、玉村の一部合併昭和29・10・11号新しい石下町の誕生石下町、豊田村、岡田村、...
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広報いしげ 1973年7月 第116号 広報いしげ
1973年7月
第116号により、南セントは土地改良区負担)の大排長塚節歌碑写真九州大宰府観世音寺境内に建てられている歌碑で、節が大正3年5月、九大病院入院中に詠んだ中島哀浪の筆による歌が刻まれているものです。馬場栗崎武志二男伊左男31手を当てて...
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広報いしげ 1974年12月 第126号 広報いしげ
1974年12月
第126号だ日本の代表的な歌人であり作家でもあった長塚節生家屋敷内に建立されました。町民の皆様!どうぞ御覧になって下さい。そして、お気付の点、ご意見等ありましたら、役場企画課又は、教育委員会までご連絡下さい。石下城跡表示板老いも若...
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広報みつかいどう 1975年2月 第230号 広報みつかいどう
1975年2月
第230号す燃料増す危険運転者向け文化遺産天道念仏長塚節の時代から今日まで静かに生き続けています。例えば菅生・坂手・菅原地区では2月15日前後念仏衆が寺や行屋の前庭に極楽浄土を模していろいろな飾物を作ります。坂手では4本の青竹の中...
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広報いしげ 1975年9月 第133号 広報いしげ
1975年9月
第133号文学史上の最高傑作といわれる「土」の作家長塚節の四十年記念祭が行われた年である。郷土芸能保存会では、設立以来、我が町に伝えられていた麦搗き唄、土端打ち唄、篠山木挽き唄等の発堀、保存伝承に努めテレビ、舞台等に出演して広く世...
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広報いしげ 1975年10月 第134号 広報いしげ
1975年10月
第134号親王将門公一族噴基之地」両石碑設置工事ロ長塚節生家中門崖根葺替工事背補助ハ郷土史編さん準備(郷土史研究会を十月三日に発会させる)2.物産品の普及宣伝としてイ名産品宣伝パンフレット作成3.観光まつりの準備運営としてイ町民ま...
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広報いしげ 1975年11月 第135号 広報いしげ
1975年11月
第135号原富明(四十六才)職業織物業おらが自慢の長塚節生まれ在所はからが町作詞新石下二五二増山たけ(六十三才)職業主婦老いも若きも手に手をとって明日の石下に花が咲く作詞古間木新田二四三小川やすゑ(四十三才)職業農業石下音頭で織り...
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広報いしげ 1975年12月 第136号 広報いしげ
1975年12月
第136号なたに進上昭和三十三年「鬼怒川」「紬」「長塚節」を織り込んだ歌詞を、石下町報で募集した。応募数四十三点、審査の結果、岡田勇さん(栗山新出)の作品が選ばれ、翌年の町報(一月二十五日発行)に発表された。数年後、商工会が山口博...
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広報いしげ 1976年1月 第138号 広報いしげ
1976年1月
第138号“歴史と結城紬のふるさと石下町”と題し、長塚節の家・平将門公本拠の地・親鸞聖人二十四輩第九番大房東弘寺・いしげまつり・石毛城跡・日本民家三十選崎房秋葉家等の町の観光地と、日本の伝統美結城紬・銘酒・桐下駄団子等の町の特産品...
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広報いしげ 1976年2月 第139号 広報いしげ
1976年2月
第139号があります。それらの史跡を訪れる観光客(長塚節の生家・大房東弘寺織物会館等への見学客も合わせて)日に日に数を増しています。三月からは、はとバス(東京)も週三回定期的に訪れる予定。これら観光客の便宜を図り、町の商工発展、観...
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広報みつかいどう 1977年3月 第255号 広報みつかいどう
1977年3月
第255号美盛美和子盛訓弘田谷清治長塚昭博瀬崎直美長塚節生清水良一秋坂輝美染谷末美中茎芳幸浜野正浩坂巻良明坂巻みゆき鈴木ひろみ小磯雪絵小磯しげ子細谷昭裕片庭明美赤坂和正広瀬一美武藤正弘大久保進一渡辺勝也中川裕子松崎勇田中康浩87名...