75 件の資料が見つかりました。
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広報みつかいどう 1976年7月 第247号
、生年月日、血液型などを記入したもの)2大雨が続くと、がけ崩れの危険があるので、がけ近くの人は注意する・飲料水と2食程度の食料を用意する・ロープや帯を用意する3避難するときの注意・火の始末と戸締りを確実にし、老人、子ども...
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広報みつかいどう 1976年11月 第251号
行政が、今後も続けられることをお願いし、大雨の中をまたスライドまで用意なされたなど、御多忙ななかをおいで下さいました先生方に心からお礼を申し上げます。...
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広報いしげ 1977年5月 第153号
的条件から災害の多い国だといわれ、暴風や大雨による災害などが毎年のように発生しています。万一このような災害によって大きな被害を受けたときには、税金の面でも救済措置がもうけられています。救済措置には、「災害減免法による方法...
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広報みつかいどう 1977年9月 第261号
守谷町)がそれぞれ獲得しました。同日は、大雨洪水警報が出されドシャブリという最悪のコンディション。それでも参加者たちは、全員熱心に18ホールをプレイしていました。なお、ことしのチャリティー寄付金は、県コロニーへ50万円、...
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広報みつかいどう 1980年2月 第290号
んぼの真中を、ゆったりと流れていた。一度大雨があれば、一面は太く放任的で、あまりこまごまとは親切運動の推進を図っていので、各校の推選を経た46点たこと=鈴木順子▽思いき豊かな水量、ゆるやかな流れ。広低い湿地帯の原野の中を...
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広報みつかいどう 1981年8月 第308号
1)8月1O日発行第308号水害に備える大雨を降らせたりして日ごろの備えこそが、被害を最小限度にくい年、必ずやってきて、日本のどこかへ上陸します。です。いつ起こるのか、予知することが困難な地震宮城県沖地震による負傷原因=...
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広報いしげ 1981年9月 第198号
いたしたいと思います。昭和十三年六月末の大雨で、飯沼は泥水と化し、非常に苦しみました。その後も洪水はありましたが、土地改良と水利の改良により、ようやく安心できるようになりました。昭和十三年洪水崎房築越の様子増産時報八月十...
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広報いしげ 1981年11月 第200号
いわれ、当町近隣に数時間で何百ミリという大雨を降らせ、午前二時頃、国道二九四号線(大房〜原宿)を冠水させ、東部地区田畑を湖と化すなど、荒れました。このため、床下浸水家屋が五十一棟(四十世帯)出るなど大きな被害が発生しまし...
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広報いしげ 1982年1月 第202号
かし、天明六年(一七八六年)七月十三日に大雨が降り、一日にして、この周辺は沼と化し、七月の読誦を欠きました。その後、八月十七日には少人数でしたが集まり、また、続けることができました。初めてから、百二年間の永きにわたり、五...
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広報みつかいどう 1982年8月 第320号
撮影)2日未明に来襲した台風10号による大雨で、同日午前11時30分ごろ、菅生溢(いつ)流堤で、利根川の増水による越水が発生、被害が出ました。越水は、3日午前5時ごろまで続き、このため当市菅生町黄金地区をはじめ、守谷町や...
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広報みつかいどう 1982年10月 第322号
入り、長助町地先と箕輪町地先の堤に降った大雨は、鬼台風18号による被害家屋の浸水さる8月2日に来襲した台風10号と9月12日に来襲した台風18号29世帯●床上=3(豊岡町)●床下=26(天満町9・山田町4・渕頭町4・宝町...
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広報いしげ 1984年6月 第230号
建てていただいて感謝しています。この辺は大雨がある度に何日も田植えをした後冠ってしまってどうしょうもなかった。こんなにやりよくしてもらって」と嬉しそうに話してくれます。7月6日は石下町長選挙の投標日です7月6日(金曜用)...