285 件の資料が見つかりました。
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水海道市広報 1956年11月 第22号
全とみるのは早計である。二、干拓事業関係菅生沼干拓も。将来当市と守谷町が協力して育成強化することが望ましい。三、農村計画守谷町は純農村であり、当市は、都市的要素を含むので守谷町へ合併すれば、健全な農村建設ができると云う主...
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水海道市広報 1957年4月 第27号
穂が垂れよハアーいまに千町歩の田がみのる菅生沼原かいこん日和わしも一言明神五さ穀まみへのりの願かけた忘れしやんすな寺詣り船を繋ぎの松さえ夫婦ハアー晴れて二人の礼まいり願いかなって元三さまへなにをくよくよ七転末八の起安楽後...
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水海道市広報 1957年8月 第31号
2新菅生農村建設を早急に実施すること。3菅生沼干拓事業早期完成に努力する未配分地の配分は公正適切に実行すること。4滞納租税は分割払いを認めること。5各種団体及び部落役員の再編成を行うこと。6小中学校及び支所の現状維持と拡...
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水海道市広報 1957年12月 第35号
路工事を4県営住宅をほしい土地改良関係1菅生沼の干拓を2東仁連川改修工事、特に水源枯かつ地帯の土地改良と東仁連川の補償、助成を3五箇地先小貝川干拓を農林関係1芽吹橋完成による当市農業振興施策は2農業改良相談所の職員増員と...
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水海道市広報 1958年7月 第42号
一、一一二台でした。二つの總代選挙おわる菅生沼土地改良区】…何れも無投票当選◆1区―浜野数馬、坂巻軒治、鈴木八郎、坂巻長作、染谷大三、倉持芳太郎、平間勝彌、倉持善兵衛、皆見博衛、高橋宗太郎、大滝夏治、鈴木一郎、鈴木浅次郎...
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水海道市報 1959年9月 第54号
ひかどった菅生沼開拓の被害みなさんの救援を台風七号は、大あばれして各地に大きい爪あとを残していきましたが、何んといっても、菅生沼開拓地の被害は大きく痛ましいです。昭和12年に建設省が、旧利根川と菅生沼の一部に堤防をつくつ...
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水海道市報 1959年10月 第55号
すこととなりました。相ついで来た台風も、菅生沼の災害を除いては当地方の被害は最少限で何よりでしたので、豊作はいよいよ確定的なようですし、これにつれて他の商売もまた景気がよいことと思われます。どうぞ、この時期を逃さず、いま...
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広報みつかいどう 1964年1月 第97号
生町まで完成をみるにいたったが、その先の菅生沼をへて大橋にいたる間の貫通がまだなされてないので、当市の開発上ぜひこの道路の建設を……』というもの。▼固定資産評価制度改訂にっいての意見書『政府は固定資産評価制度調査会の答申...
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広報みつかいどう 1964年11月 第107号
では将来この道路を県道に移管し菅生町から菅生沼を経て芽吹大橋まで貫通させる計画をすすめています。団長に古谷真氏消防団の役員きまる新機構による市消防団は、このほど、団長に古谷真氏(豊岡町)、副団長に中沢良雄氏(三坂町)、内...
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広報みつかいどう 1964年12月 第108号
事を行ないました。これは県道大塚戸線から菅生沼へ通ずる道路で、幅を2・5メートルから3・6メートルにひろげたもの。これにより、地元の要望であっだ、消防車などの出入りも非常に便利になりました。ゴミ焼却場建設はじまる煙害予防...
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広報みつかいどう 1965年2月 第110号
画◇坂手貫通とり付け道路(39)◇坂手〜菅生沼を経て芽吹大橋へ通ずる道路が将来完成しますと、都心への最短コースとして、この道路はさらに大きい役割を果し、産業開発の一大動脈となることでしょう。完成した取り付け道路たばこ1人...
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広報みつかいどう 1966年6月 第126号
地改良総代選挙13日新市建設審議会14日菅生沼土地改良区選挙立候補締切日30日青少年相談員打合会農村後継者研修運営委会◎市長在庁予定は毎週水曜日今月の納税は市県民税国民健康保険税第1期分納期限は6月30日です。たばこは市...