91 件の資料が見つかりました。
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石下町報 1956年10月 第10号 石下町報
1956年10月
第10号よる被害飯沼地区で冠水約五町歩九月二七日大雨をともなって本土をかすめ鹿島灘に去った台風十五号は関東地方ではカスリキズですんだものの、全国的には各地に相当の被害を出しました。当町では、飯沼地区の鴻野山新田、馬場新田、古間木...
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水海道市広報 1957年9月 第32号 水海道市広報
1957年9月
第32号です。わが国は風水害国昭和三十年の台風と大雨の被害は、死亡、行方不明三百七十九人、建物の全壊半壊・流失二万一千戸、田畑の流失、埋没二万一千町歩に及びました。また、被害額を二十九年度でみると八百億(国民所得の一〇三%)に達...
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広報いしげ 1961年7月 第29号 広報いしげ
1961年7月
第29号中豪雨は、梅雨前線と台風六号がもたらした大雨で近畿、中国、東海、関東にかけて大被害をうけました。雨量水量とも記録によると昭和十六年の大洪水以来二十年ぶりの記録だといわれています。当町においてもあらゆる道路が冠水し、岡田、...
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広報いしげ 1966年7月 第58号 広報いしげ
1966年7月
第58号日、関東地方をおそった台風四号は、各地に大雨に見舞われました。このため田畑の冠水、家屋の床下浸水、道路の崩壊など大きな被害をうけました。特に鬼怒川の石下橋(延長二百七十三米)は、川砂の乱採による河床の低下と今回の増水によ...
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広報みつかいどう 1966年7月 第127号 広報みつかいどう
1966年7月
第127号そまぬがれたものの、この台風がもたらした大雨がともなったため、各河川とも異常な増水を見せ、とくに小貝川は警戒水位をはるかに突破、最高水位は5・9メートルに達し、また八間堀川なども極度に増水して、各所に危険箇所が続出しまし...
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広報みつかいどう 1966年12月 第132号 広報みつかいどう
1966年12月
第132号となりました。この事業は、年々、集中的な大雨があるたびに冠水の被害をまぬかれなかった大生、五箇地区の関係耕地約8百50ヘクタールを、この被害から防ごうというもので、現在、新井木排水機場にある口径7百ミリ排水ポンプ2台に、...
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広報みつかいどう 1972年10月 第202号 広報みつかいどう
1972年10月
第202号町)さんはこんど労働して、初日の15日は大雨にもめげず午前。午後と県立下館第一高校◇会長=落合庄次◇職務すお。気軽に相談をうけてくだしたさ。らに、16日も前日同様の◇試験会場=下館市下中山町出されました。(敬称略)相談を...
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広報みつかいどう 1973年8月 第212号 広報みつかいどう
1973年8月
第212号関東東北、北海道を縦走し、全国的に強風、大雨による大きな被害をもたらしました。とくに浦戸湾では満潮時と重なったため、高潮が発生し、高知市は浸水被害をうけ、高知県下の約半数の市町村に、災害救助法が適用されるなど被害は甚大で...
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広報いしげ 1974年8月 第124号 広報いしげ
1974年8月
第124号してキャンプ最後の夜はくれていった。一時大雨に見舞われたが、お天気にもなんとか恵まれて無事三日間が過ぎた。このキャンプで得た相互のつながりをこれからの団生動にいかしていきたいと思う。成功させよう水と緑のまごころ国体おめで...
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広報みつかいどう 1975年2月 第230号 広報みつかいどう
1975年2月
第230号文男処理し、鬼怒川に放流弘荒井壮大滝恒雄大雨水および汚水を高級事を行う予定です。清右衛門20年以上=本田なり、分流方式により(直径3・5メートル)と、護岸工県知事表彰40年以上=戸塚面積は同団地内全域と水際までの、コルゲ...
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広報みつかいどう 1975年5月 第233号 広報みつかいどう
1975年5月
第233号4キロリ放し飼いによる咬傷事故やもので、大雨ごとに浸水の不安・出生届14日以内(赤ちゃんが生まれたとき)・死亡届7日以内(死亡したとき)この結果、これまで低地部流末「橋本排水機場」が完成・転入届14日以内(他市町村から転...
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広報みつかいどう 1975年8月 第236号 広報みつかいどう
1975年8月
第236号通行止小貝川増水で一部流失さる7月5日の大雨による小貝川の増水で、水和橋(渕頭町と谷和原村北袋間)の一部が流失しました。市は、谷和原村と共同で、復旧作業をすることにしていますが、復旧には当分時間がかかるものと思われます。...